幕末期、欧米列強が植民地を広げるため、アジアへの進出を強めていました。いち早くこの時代の変化に危機意識を持った佐賀鍋島藩10代藩主鍋島直正は、藩校「弘道館」の教育充実、反射炉の築造、理化学研究所「精錬方」や海軍伝習所を設置するなど、佐賀藩を日本の最先端技術を持つ藩に押し上げました。
その結果、佐賀藩の軍事力と多くの優秀な人材は、明治維新期に大きな役割を果たし、日本の近代化を推進するエネルギーとなりました。
その中には、大隈重信ら近代日本をリードした偉人たちがいました。
佐賀市内には、偉人達のゆかりの地が各所にあり、特に佐賀城跡周辺に集中しており、歩いて巡るだけでも楽しむことができます。
佐賀市街の中心に位置し、佐賀藩の拠点となった本丸御殿、幕末の再建時の設計図を元に復元されました。中には貴重な資料が展示され、近代日本の礎づくりに躍動した佐賀藩の歴史を詳しく知ることができます。
佐賀城本丸歴史館 |
鍋島直正公像 |
佐賀城跡から東に1キロメートルほどの場所にあり、大隈ゆかりの展示物を多数見ることができ、中には演説を吹き込んだレコードがあり、肉声を聞くこともできる。隣には武家屋敷の面影を残す大隈重信の生家もある。
大隈重信記念館 |
大隈重信生家 |
佐賀藩は海外との窓口であった長崎の警備を強化するため、いち早く洋式船を手に入れ、洋式海軍を設立しました。その拠点となったのが「三重津海軍所」で洋式海軍の訓練や洋式船の建造、修理などが行われました。
三重津海軍所跡 |
佐野常民記念館 |
長崎街道は、江戸時代に整備された脇街道の一つで、豊前国小倉の常盤橋を始点として、肥前国長崎に至るまでの道です。海外から伝えられる珍しい文化や物資はこの道を通って、江戸に伝えられました。長崎街道は佐賀市街の中をを横断しており、街道の周辺には、白山アーケードのほか、柳町のような昔ながらの町並みも見ることができます。
白山アーケード内 |
のこぎり型家並み |
佐賀市街の柳町周辺には江戸時代から明治期にかけての建造物が多数残されており、ノスタルジックな街並みを形成しています。
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旧古賀銀行 |
旧古賀家 |
旧三省銀行 |
旧牛島家 |
旧福田家 |
野中烏犀圓 |
佐賀の街を歩くと、あちらこちらの街角でやさしい笑顔の恵比須さんを見ることができます。恵比須像が多い理由は諸説あり、佐賀では家の軒先や街かどに恵比須像が祀られています。恵比須像を探しながらの街歩きも楽しみ方の一つです。
引っ越し恵比須 |
鯛恵比須 |
ゆめこい恵比須 |
この他にも歴史に係る観光地があります。佐賀市の歴史探訪に出かけよう!⇒歴史もの 観光情報検索
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