徐福 ~不老不死を求めた浪漫の旅人~

佐賀に伝わる古代ミステリー

実は、滅ぼされた国の皇太子

今から約2200年前、史上初の中国統一を果たし、あらゆる権力と富を手にした秦の始皇帝。絶対の権力者の彼でさえままならなかったのが、「老い」と「死」だった。徐福はその始皇帝に仕える方士で、呪術、祈祷、医薬、占星術、天文学に通じた学者。実は始皇帝に滅ぼされた斉の国の皇太子だったが、その頭脳を見込まれて仕えていた。

霊薬探しの旅、そして日本へ

司馬遷が書いた中国の歴史書「史記」によると、徐福は始皇帝に「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と進言し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女と多くの技術者を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったと記されている。

日本各地に残る伝説

この徐福の渡来伝説は日本各地に伝えられているが、特に佐賀には数多くの伝承が残されており、昔から「徐福さん」と呼ばれ親しまれている。それが事実か、単なる伝説なのか、確証を得るものはないが、現代の人々に遥かな古代ロマンを与えてくれることは確かだ。

年表(概略) ※生没年などは諸説あり。

西暦・数え齢 出来事

BC.278(弥生時代)・1歳

誕生
BC.259・20歳 始皇帝誕生
BC.221・58歳 斉の国が滅亡し、秦の始皇帝が即位
BC.219・60歳 不老不死の仙薬を求め、蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)の三神山に向けて旅立つも、見つけられず
BC.212・67歳 始皇帝に、「蓬莱に行けば仙薬が手に入るが、大鮫に邪魔され辿り着けない」と報告
BC.210・69歳
  • 童男童女3,000人と技術者、五穀や数々の道具を乗せて、大船団で再び出航
  • 始皇帝崩御

BC.208・71歳

徐福死去。2月8日のことだったとされる

徐福が追い求めたフロフキは不老不死の薬?

仙薬を探す徐福が金立(きんりゅう)山で出会ったのは謎の仙人。徐福が仙薬の場所を訪ねると、仙人はゆがいている釜の中を見せ、霧のように消えてしまった。その釜の中にあったものこそ、徐福が求めていた仙薬で、「フロフキ」という薬草だった。フロフキは、今も金立山に自生しており、土地の人々は煎じて飲めば腹痛や頭痛に効果があると言う。

 

悲劇のもとは聞き間違い?お辰との悲しい恋の物語

お辰は金立の地で徐福と恋仲になった娘。徐福が一時この地を離れる時、「5年後に戻る」との伝言があやまって「50年後」と伝わってしまったため、お辰は悲しみのあまり亡くなってしまう。これは中国、日本を含めて唯一伝わる徐福の悲しい恋の物語でもある。

 

 

チャンスは一生に二度!50年に一度の幻の行列

徐福を祀る金立神社には、何と50年に1度開催される例大祭がある。また、神輿を担いで、徐福が上陸地から金立山まで辿った道を逆に下る「お下り神事」も開催される。次の開催は2030年。一生に一度か二度の貴重な機会だ。

 

伝説は本当だった!徐福の故郷がついに発見!

佐賀ではもう何百年も前から、数々の徐福文化が脈々と受け継がれているが、本場中国では徐福は長い間伝説上の人物だった。しかし1981年、江蘇省において徐福が住んでいたと伝わる徐阜村(徐福村)が発見され、その存在が認められた。近年、中国では徐福ドラマが企画されるなど、にわかに徐福ブームが巻き起こっている。

ギャラリー

▲吉野ケ里遺跡(神埼市・吉野ヶ里町)。その成り立ちには徐福も関わったとされている。

▲不老不死の仙薬をついに発見したのは、金立山の山中だったと伝えられる。写真は中国の連雲港市から贈られた徐福像で、金立山をバックに立つ表情はどこか誇らしげ。

▲「金立神社画図縁起」(金立神社蔵 佐賀県立博物館寄託)。画面は絹布3枚継ぎで、上段は金立神社上宮、中段は金立神社下宮、下段は徐福上陸の場となっている。かつて天皇や鍋島家も参拝したという、金立神社の由緒ある姿を今に伝える貴重な資料。

▲2011年11月、徐福が日本へ向けて出港した地とされる、中国の慈渓市から贈られた新たな徐福像。上陸地近くの「橋の駅ドロンパ」付近に立ち、遠くに見えるのは筑後川昇開橋。金立山前の徐福像とは視線が向かい合っており、上陸地と仙薬発見の地で、互いに日本で歩んだ旅路を見守っている。

▲徐福を祀る金立神社上宮の拝殿裏にたつ「湧出御宝石」。巨石を神聖視する中国の神仙思想に通じるものがあり、石造りの拝殿は徐福が連れてきた石工の手によるものとも伝わる。

探訪コース

① 徐福上陸地(浮盃)

徐福上陸の伝説の地で、現在は神社として拝殿や掲示板等が整備されている。ここから徐福巡りの旅をスタート!

車で約5分

 

② 新北神社

境内のビャクシンは徐福が上陸の記念に、中国から持ってきた種を植えたものと伝えられ、貫禄ある姿を拝むことができる。

車で約40分

 

③ お辰観音

徐福との悲恋の末に亡くなったお辰を偲ぶ観音像。お辰が「自分のようにはさせない」と、縁を結んでくれる。

車で約10分

 

④ 徐福長寿館

日本唯一の徐福の公的資料館。佐賀の徐福伝説発信の中心施設で、徐福や薬草に関する様々な情報はここで得られる。

車で約10分

 

⑤ 金立神社(上宮)

金立山頂上にある、徐福を祀る神社。天皇も参拝した由緒ある神社で、その徳を感じつつ、徐福が開拓した佐賀平野を見渡そう。

 

 

 

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