枝吉神陽が設立した勤王結社義祭同盟とは弘道館の教諭であり、国学者であった枝吉神陽が1850年(嘉永3年)に設立した勤王結社。表向きは楠公父子像を祀る崇敬の集いでしたが、実際は尊王論を広げ天下国家の行く末を語りあう塾の趣を帯びていました。毎年旧暦5月25日には親や兄弟姉妹にも秘密にし、佐賀藩の若き志士たちが集い、議論を深めた。
副島種臣・島義勇・大木喬任・江藤新平・大隈重信らが参加初期メンバーには、副島種臣、島義勇、大木喬任らの名前があり、後に江藤新平や大隈重信らも参加しています。他にも佐賀藩の家老であった鍋島安房(あわ)や、後に岩倉使節団に同行する久米邦武らの名前も残っており、その参加者には幕末維新期の中央政府で活躍した人物も数多くいました。後に二度の総理大臣を務めた大隈重信は「予がこれに加盟したのが、世に出て志を立てるきっかけになったと言ってもよい」と回顧しています。 |
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